【そもそも人間学とは何か】 (道教)老子

知古嶋芳琉です。

私が師事した安岡正篤師が

連続講義をされた記録で、

『東洋思想十講』という

書の中から、

思うがままに引用して、

お話しを進めています。

この講義は

東洋思想を構成する儒教道教仏教に加えて、

日本の神道にまで及ぶお話しで、

ここでは道教のお話しです。

−−−ここからは、その引用です−−−

第十講 道家(黄・老・壮・列)について

 初めに申し上げたと思いますが、

中国の思想文化を歴史的に考察してまいりますと、

孔子孟子荀子を加えた孔孟荀と

老荘列の二つの大きな系統に分けられます。

したがって、

孔孟荀に

老荘列を配して

初めて、

中国の学問・思想の源流を

知ることができるのですから、

儒教のお話しをしたついでに、

老荘:黄老(こうろう)を

少しご紹介いたします。

そもそも

老荘とは列子も含めて言うわけですが、

本当は黄老と申します。

黄は中国文化の象徴的な存在である黄帝

老は

言うまでもなく老子のことであります。

それが

漢末頃から

老荘と言われるようになりました。

そして

儒に対して道、

儒家に対して道家

と申します。

しかし、

老荘・黄老を

よく道教と言いますが、

これは

厳格に言って

妥当ではありません。

というのは、

漢代に入ってまいりましたインド仏教が、

次第に民衆に普及していくにつれて、

仏教儒教老荘との交流が始まり、

一方において

インド仏教の中国化、

儒家道家仏教

という現象が現われてきました。

なかんずく

道家との交流が著しく、

やがて

道家は通俗道家となり、

また

道教という

独特の宗教を発展させたのであります。

したがって、

黄老・老荘道教とは、

全くの別物ではありませんけれども、

同一ではないのであります。

そして、

また

一方、

インド仏教

老荘の影響を強く受けまして、

ここに

禅:禅宗というものを生むに至りました。

つまり

黄老・老壮が

一方において禅を発達させ、

他方において道教を生んだ

ということができるわけであります。

こうして儒道仏の三教ができあがって、

これが中国文化の三大潮流になるのであります。

そして

この三教が日本に伝来して、

日本の古神道:惟神道(かんながらのみち)と交流し、

日本文化の本流ができあがるのであります。

したがって、

日本民族の思想・学問を究めようとすれば、

どうしても

古神道と儒仏道三教の本質を

明らかにしなければなりません。

それがわからなければ

日本精神・日本文化はわからない

ということになります。

 いずれにしても

この

三教は

東洋民族、

特に中国民族、

日本民族の思想・学問・芸術等のあらゆる文化、

また、

それを通ずる人間生活に深く浸透して、

いろいろの特徴を

生んできているわけでありますから、

東洋思想、

広い意味での東洋哲学を理解しようと思えば、

儒教仏教だけではいけませんので、

どうしても

黄老・神道の本質を心得ておく必要があります。

○ 老子

 そこでまず老子でありますが、

実は

老子とはどういう人か、

どういう経歴の人かということは

よくわからないのであります。

懐疑的な学者の中には

老子の存在そのものすら

否定する人があるくらいです。

しかし、

それは

少し行き過ぎで、

一応

司馬遷史記に書いてありますように、

老子姓は李、名は耳、字(あざな)を伯陽といい、

【たん】と諡(おくりな)す

というのが常識になっております。

そして

周の守蔵室の吏、

今日でいえば

国立博物館の館長のような立場にありました。

当時の中国は

西域から

中央アジア

チグリス、ユーフラテス辺りまで

交渉がありましたから、

老子という人は

大変な外国通であったと思われます。

一説に

老子

楚の苦県の人ではなくて、

陳の人だとの説もあります。

が、これは

苦県は元陳の領地であったのが

後に楚の領地になったのですから、

問題はありません。

また

諡(おくりな)の【たん】ですが、

老子という人は

「終わるところを知らず」

というくらいですから、

諡(おくりな)があるということ自体

おかしいわけで、

したがって

【たん】は恐らく字(あざな)であろうと思われます。

いずれにしても

耳・【たん】ともに耳に関係があるわけで、

殊に【たん】という字は

耳が大きい、

耳たぶがゆったりしているという意味ですから、

老子という人は

よほど立派な耳の持ち主であったと想像されます。

 人間の耳というのは

遺伝を最もよく表わすもので、

その意味で

本来的なものですから、

普通は動きません。

 まれに動く人がありますが、

これは異例であります。

 そして

持って生まれた性格をよく表わすので、

耳をみれば

大体

その人の個性がわかります。

また

その人の健康が

すぐに耳に反映して、

健康を害すると

耳の色も悪くなります。

このように

耳と内蔵は密接な関係がありますから、

朝起きるときや

夜寝るときにもんでやるのは

非常に健康によいのであります。

とにかく

老子という人は

大層よい耳をしておったことがわかります。

もちろん、

よい耳をしておったということは、

博聞、

いろいろな知識が

豊かであったという意味も含まれています。

 その老子の思想・学問は、

前にも申しましたように、

儒教系統のリアリスティックなのに対して、

非常に

アイディアリスティックな特色があります。

現実的よりは

理想主義的・根元的であります。

したがって、

現象的に対して

本体的な思想・言論が多いのであります。

その一端をしのばせるのが

史記列伝の中の

孔子との問答であります。

若き日の孔子

老子の令名(れいめい:よい評判。名声。令聞)

を聞き、

これを訪ねて教えを聞いた。

−−原文−−

 老子曰く、われ之を聞く、

良賈(りょうこ)は深く蔵(ぞう)して

虚(むな)しきが若(ごと)く、

君子盛徳(せいとく)あって

容貌愚なるが若(ごと)しと。

子の驕気(きょうき)と

多欲と

態(たい)色と

淫志とを去れ。

これみな子の身に益無し。

−−用語解説−−

良賈(りょうこ:よい商人。すぐれた商人。

すぐれた商人は品物を奥深くしまっておき、

一見すると手持ちがないように見える。

賢者は学徳をみだりに外に現さないため、

愚者のように見えることのたとえ)

盛徳(せいとく:盛大な徳。りっぱな徳)

−−原文の解説−−

 驕気(きょうき)は

オレがオレがという

驕(おご)った心。

態色は「てらい(ひけらかすこと)」、ゼスチュア。

若くて秀才だが、

どうも

自分を売らんかなのゼスチュアが多過ぎる。

こういう人間は

今日もずいぶんおりますね。

淫志というのは、

別に

性的な意味ではありません。

何でもかんでも欲しいという強い欲望が淫志です。

お前さんは

オレがオレがというおごり、

多欲、

てらい(ひけらかすこと)、

強欲を取ってしまいなさい。

そういうものは

お前さんにとって

無益なものだというのであります。

これは人間としての

本質的な問題でありますが、

なかなか人間というものは、

若いときは言うまでもなく、

幾つになっても

こういう

驕気(きょうき)や

てらい(ひけらかすこと)を捨て切れぬものです。

そこを

老子

ずばりと衝いているわけであります。

 しかし、

このような考え方は

儒教にもありまして、

例えば論語の中に

孔子は、

−−原文−−

子曰く

寧(ねい)武子、

邦に道有れば則(すなわ)ち知、

邦に道無ければ則ち愚。

其の知や及ぶべく、其の愚及ぶべからず。

−−原文の解説−−

と評しております。

つまり

寧武子の頭の良いというのは真似できるが、

その「ばかっぷり」は、

とても及ぶべくもないというのです。

論語の中でも

大変面白い一節でありますが、

これでみると、

孔子

なかなか愚を解する人であり、

むしろ

愚を高く評価していた人と思われます。

こういう愚の思想は

日本にもよく伝わって、

少なくとも

徳川時代から明治にかけては

その痕跡をとどめております。

民間の口碑(こうひ:石碑に刻んだ文が長く残るのに

なぞらえて、口承に残った言い伝えをこうよぶ。

前代の生活の痕跡(こんせき)を語る昔話、伝説、

語り物、民謡、童唄(わらべうた)などのほかに、

唱え言、諺(ことわざ)、謎(なぞ)などが含まれる。

口から耳へと、

世代を繰り返しながら伝えられる文芸で、

一定の形式をもって、

時代の習慣・風俗が変わった今日でも生命を保ち、

同じ内容が

場所を変えて点在している。

特定の作者がなく、

多くの人に語られ

聴かれてきたことが特徴。

記録にとどめられないために、

古い時代の確証が定められず、

考証の限界はあるが、

庶民資料の大半はこの形態で伝承された)

・伝説、

その他格言などにも残っております。

それらの中で

最も普及した格言・諺(ことわざ)を

二、三ご紹介しましょう。

 まず

その一つは

「馬鹿殿」

という語。

これは寛政時代にできておった語であります。

後生の人は

これを

本当の馬鹿殿さまの意味に解しておりますが、

そうではなくて

本来は

殿さま礼讃の語なのです。

殿さまというものは、

よくできる者もできない者も、

役に立つ者も立たない者も、

とにかく

様々な家来を抱えて、

何とか使いこなしていかなければなりません。

さらに

その後ろには

幕府という厄介なものが控えておって、

隙があれば

取り潰してやろうと

絶えず目を光らせておるのですから

小利口な殿さまでは

とてもやっていけない。

それこそ

馬鹿にならなければつとまりません。

それをアイロニカルに表現したのが

馬鹿殿さまという語であります。

 次は糠(ぬか)味噌女房。

これまた、女房礼讃の語であります。

 昔の宴会は

今と違って、

酒の肴(さかな)は

酢の物か

刺身くらいで、

後は

折り詰めで

家に持って帰ったものです。

そうして家に帰ったら、

女房のうまい香の物で茶漬けを食う。

 これが食生活の至れるものでした。

 ところがその糠味噌たるや

実に厄介で、

冷たくて臭い上に

始終引っかき回していなければ、

うまい香の物はできません。

その労苦をいとうような女房は、

したがって

絶対に

亭主に

うまい漬け物を

食わすことができないわけです。

反対に

糠味噌漬けの上手な女房は、

亭主にとって

最もありがたい

至れる女房ということになる。

そういう意味で

至れる女房のことを

糠味噌女房というのであります。

それを

糠味噌女房というと、

貧乏生活にくたびれてしまった女房の

代名詞のように誤解するに至ったのは、

後世の亭主どもの

悪い意味での

馬鹿になった

一つの証拠とも言えなくはありません。

 もう一つ、

「女房と畳は新しいほどよい」

とよく申します。

これも

女房と畳は

なるべく取り替えて

新しいほうがよいというふうに

みんな誤解しておりますが、

とんでもないことです。

ちょっと考えてもわかりますが、

いったい、

しょっちゅう

畳を取り替える馬鹿がおりましょうか。

畳というものは

古ぼけて傷んでくると

まず裏返しをし、

それがだめになると

今度は表を取り替える。

 火事や津波に遭わない限り、

実体は少しも変わりません。

よそおいを新たにするだけのことです。

実際

家庭生活において

畳の古ぼけて

薄汚れたくらい

貧乏臭いものはありません。

貧乏臭いばかりでなく、

不潔であり、

それこそ怠惰を表わす。

どんなやりくりをしても

畳を新鮮にしておくことは

女房の良い心掛けの一つであります。

これは畳ばかりではありません。

 新婚当時は何もかも新しくて小奇麗ですが、

しばらくすると、

亭主は職業生活にくたびれ、

女房は家庭生活にくたびれて、

どちらもだんだん汚れてくる。

怠けてくる。

そこで

何年経っても

新婚当時のような

新鮮さを保ってほしいというので、

「女房と畳は新しいほどよい」

と言うのでありますが、

これは男のほうのエゴでありまして、

くたびれるのは

亭主のほうも同じことであります。

お互いに心掛けねばならぬことです。

カネボウ武藤山治氏の夫人は

大変寝間着に凝られた方で、

着物や帯を買うよりも寝間着を買う。

それで

ご自分はもちろん、

ご主人にも

一生

古ぼけた寝間着を身につけさせなかったという。

これは武藤さん自慢の一つだったということです。

これが本当の「生活の芸術」というものでありますが、

こういう考え方は

どちらかというと老子的であります。

−−−引用はここまでです−−−

ここからは知古嶋芳琉が書いています。

ここで安岡先生が引用された、

史記』列伝の中にあるという、

若き日の孔子

老子の令名(れいめい:よい評判。名声。令聞)

を聞いて、

彼を訪ねて教えを聞いたとき言われた教えが、

老荘思想の特徴を最も良く表わした

極めつけの言葉です。

すぐれた商人は

品物を奥深くしまっておき、

一見すると

手持ちがないように見えるというし、

賢者は学徳をみだりに外に現さないため、

愚者のように見えるという。

 そして、

驕気(きょうき:オレがオレがという

驕(おご)った心とか、

態色(ていしょく:てらい(ひけらかすこと)、

ゼスチュア)とか、

淫志(いんし:何でもかんでも欲しいという強い欲望。

みだらな心。むさぼりの気持)を捨て去れ。

そういうものは無益であるというのです。

 確かに、

滅多なことでは

手に入らないような材料を仕入れた場合、

それが料理人であれば、

お金さえ払える人なら

誰にでも食べさせたいとは思わないで、

自分のお気に入りのお得意さんだけに

こっそり連絡して、

食べてもらいたいものです。

あるいは、

表向きのメニューとは別の、

裏メニューがあったりして、

これは、

というお客さまに食べさせて

喜んでもらおうとするものです。

 もっと言えば、

大好きな友達がやってくるとなったら、

もう

商売抜きで、

なかなか手に入らない

飛び切りの素材を

はるばる遠くまで出かけて、

高いお金を払って仕入れてきては、

手間ひまかけて

下ごしらえをしたり、

長時間かけて煮込んだりして、

心を込めて

準備をしながら、

待ちわびるようなものです。

そんなおもてなしを受けたら、

一生忘れられない思い出になります。

私の経験でも、

そういう例が

幾つかありますが、

日頃は忘れていても、

何かのきっかけで、

そんな、

お金には替えられない、

善き思い出を

ふと思い出すもので、

そんなときほど

至福の時間を堪能できる時間はありません。

また、

賢者は学徳をみだりに外に現さないため、

愚者のように見えるというのも事実で、

私が存じ上げている人の中には、

そういう人が何人かおられます。

そういう人は、

滅多にお目にかかれないものですが、

深いお付き合いをしてみて

初めて

分かるものです。

今まで、

この日記の中でも

度々書いてきた人物ですので、

改めてここで書こうとは思いませんが、

そう言う人に共通しているのは、

基本的には謙虚なことです。

そして、

これもまた

なぜか

共通しているのですが、

私のほうが見つけていただき

声をかけられたということです。

それも、

何度も何度もしつこいくらいに

声をかけていただきました。

私が自分のことを言ってしまうと

自慢話になってしまいますので

もう言いませんが、

そういうところが共通点でした。

さらに言ってしまえば、

ここで

老子が取り上げているように、

驕気(きょうき:オレがオレがという驕(おご)った心)

とか、

自分の才能とか実績をひけらかすとか、

淫志(いんし:みだらな心。むさぼりの気持。

何でもかんでも欲しいという強い欲望)

というものを

持ってないところも

共通しています。

 そういう人物は、

私のお客さまと

ご近所にお住まいの、

いわゆる

「絶交論」に出てくる「素交」とか

年齢の差を越えた、

忘年の交わりができるようになった大先輩です。

そしてさらに言えば、

お二人とも、

「隠れ安岡ファン」

と言ってもいいような人で、

最初は

お互いに

安岡先生に私淑していることは隠しておいて、

滅多なことでは

口に出して言わないのです。

相手をよくよく確かめた上でないと、

安岡先生の名前は出さない。

これは、

当時の私にしても同じでしたが、

私は自分の商売(ビジネス)として、

安岡教学を活用できるようになってから、

大っぴらに

安岡先生の名前を出せるようになった

という次第です。

それまでは、

私が

安岡先生に

私淑しているなんて、

人前では

言えませんでした。

私が

安岡先生の名前を

大っぴらに出せるようになったのは、

やっぱり

クリス岡崎さんの

『億万長者専門学校』と称する

3日3晩の連続セミナーで、

アンソニー・ロビンズの

「富の成功技術」や

彼の考え方に、

ロバート・キヨサキの考え方も

学ぶことができたからです。

 安岡先生が

常々言ってこられた

理想を持てという教えに従うならば、

自分の理想像を描き、

その理想の人物と現在の自分を比べ、

もし

両者の間にギャップがあるのであれば、

今すぐ改めよということです。

一人の人間として、

理想を目指す生き方をしたいのであれば、

これを死ぬまで繰り返し実践して、

自分を

少しでも

理想に近づける

努力をしなければなりません。

向上心が

少しでもある人は、

必ず、

これを

無意識のうちに実践しております。

私の場合を振り返ってみると、

私の両親がそうでした。

特に驚いたのは、

母の場合で、

90歳を越えて

かなりボケているのに、

難しい漢字を辞書で調べたり

英語を教えろとまで言い出して、

困ってしまいました。

 私は

毎日のように

母の元へ

夕飯を食べさせに

通っていましたので、

毎日のように、

簡単な単語を教えてあげましたが、

前日教えたことも憶えていないのに、

学習意欲だけは、

少しも衰えませんでした。

それが

人間にとっては自然であり、

ごく当たり前のことなのです。